2018年6月11日月曜日

大人食い


いつか回転寿司で最初から最後までサーモンだけを食ってやる。
そう思ったのは中学生の時だった。
家族で回転寿司に行った時に、当時はタッチパネルなんか無かったから手書きの注文書を店員を渡していた。
「なんでも好きなだけ食っていいぞ」
父のその言葉を鵜呑みにした僕は「サーモン、5皿」と書いてこっ酷く叱られたのをよく覚えている。
「お前、大人になって目上の人間と食事に行く時に、そんな注文の仕方をしたら会社クビになるぞ」
僕は二十代半ばまで深刻な“父親信者”だったため、ずっとサーモンの夢を叶えられずにいた。
サーモンがスロットマシンのように連鎖して並ぶ度に、思い出したようにイカやマグロやホタテを注文してしまうのだ。
“父親教”が解けるまで我ながらかなりに時間を要したと思う。
結婚の挨拶の時だって自分の父親と会うと緊張して上手く喋れないと、妻のお母さんに話してしまう始末だった。
「普通は結婚相手の親に緊張するものでしょ」と苦笑いされた。
とりあえず、今は自己暗示のように「ウチのお父さんは別に大したことない」と思い込むようにしている。
とは言っても、家族という小さな帝国の中では間違いなくエンペラーなのだが。
地元で暮らしてる妹や弟が父のことを話す時の三人称が「お父様」とか「殿様」から「アイツ」に変わった時期があった。
近くで暮らしていない僕にはその境界線が見えないのだが「あっ、アイツ呼ばわりでもいいのか」と火で炙った氷のように簡単に呪縛が解けたのがそのよくわかった。
心の奥底では「一生敵わない存在」として君臨してはいるものの、昔に比べたら多少だけど生意気になれたと思う。
だから、今なら回転寿司で最初から最後までサーモンだけを食える気がするのだ。

いつか本当に気が済むまで人前でフリースタイルしてやる。
そう思ったのはラップを始めたばかりの時だった。
オープンマイクやMCバトル、フリースタイルが出来る機会があれば可能な限り首を突っ込んだ時期があった。
コンビニみたいにラップの事だけを考えていた時期があった。
十代の性欲に似たそれは、どんなにラップをしても満たされなかった。
みんなでマイクを回すと自然に自分の時間が減っていく。そもそも、僕は遠慮がちな性格だし、満たされないことを顔にも出さなかった。
それは、父にサーモンを止められたことが密接に関係していると思った。
フリースタイルラップを本当に気が済むまでやってみたい。人前で。

思えば、毎日の生活は満たされないことばかりで満たされている。

だから、7/7の独演会で僕はその欲求を、多少大人になってしまって落ち着きつつある欲求を、完全に満たしてやろうと思っている。
いつかワンマンライブで最初から最後までフリースタイルだけをしてやる。
実は、去年の12月の独演会でそれは果たされている。
だけど本音を言えば、あれは不本意な満たし方だった。なぜなら、あの時の僕はMCバトルに対する怒りとか嘲笑を含んでステージに立っていたからだ。
そもそも、あの日のステージには『ハハノシキュウ』というラッパーがいなかった。
だから、今回の独演会では『ハハノシキュウ』が出ずっぱりで30人組手をしたいと思ったわけだ。

お客さんがそれを観て何を満たせるのかは知らないが。

そして、帰り道に回転寿司で最初から最後までサーモンだけを食ってやる。 

予約はこちら
《概要》
ハハノシキュウによる三回目の独演会。
MC BATTLEイベントで一人で再現シリーズ。今回は一人で30人組手に挑戦。 お客様はご入場に渡される紙に“お題”を書き、指定のボックスに入れてください。(ラッパーの名前は極力やめてください) ボックスから引いたお題と、ハハノシキュウが戦います。一人で。
※8小節2ターン勝負です
《特別ルール》
また、今回は特別ルールとして『FRANKENカード』がお題ボックスに入っており、それを引いた場合はFRANKENさん本人とのドリームマッチが発動します。 さらに、お客様の中にラッパーがいた場合、お題に自身にMC名を書くことが可能です。もちろん、それを引いた場合もハハノシキュウとそのMCとのドリームマッチが発動します。 ※なので、ご自身のMCネームを記入する場合は「お題」との差別化が出来るように「ラッパー」と表記してください。
----------------------- 下北沢Laguna
7.7(土) Laguna 10th anniversary special
ハハノシキュウ独演会
<『立会い出産 第三子』〜一人MC BATTLE 30人組手の会〜@下北沢Laguna 7/7(土)>
バトル&ライブ:ハハノシキュウ
総合司会:NONKEY
(O.A):FRANKEN
バトルビート:DJ CAN
時間:OPEN 18:00 START 18:50
料金:前売り 2500円(D別) 当日 3000円(D別)
発売日5/21(月) ローソンチケット 0570-00-0777 Lコード予約 http://l-tike.com Lコード: 71181 イープラス  http://eee.eplus.co.jp 下北沢Laguna 店頭
-----------------------
18:00 開場(ハハノシキュウ選曲BGM) 18:50 (O.A)FRANKEN 19:05 ルール説明 19:10 30人組手 10戦 19:40 即興ショーケース 19:50 30人組手 10戦 20:20 即興ショーケース 20:30 30人組手 10戦 21:00 残ったお題でオープンマイク 21:10 物販 22:00 撤収

2018年5月12日土曜日

我孫子駅の唐揚げ蕎麦を思う

やっぱ、お金をもらって文章を書くのが好きだ。つまり、お金をもらえないブログの更新は億劫で、なんで億劫なのかっていうのはその一番簡単な回答は「締め切り」が無いから!という実にわかりやすいものである。
俺は人生の真理に辿り着いた。人生に必要なものは二つだけでいい。
それは「締め切り」と「責任感」である。このブログにはその双方が欠けている。完全に欠けている。

じゃあ、どうしてこうしてブログを書き始めたかと言うと、妻が「書け!」と言うからである。
俺は人生の真理に辿り着いた。人生の必要なものは二つ。「締め切り」と「責任感」だが、妻の命令は軽くそれらを超越するのだ。

僕の文章に妻が登場することを妻自身はひどく嫌うので、これ以上は言及しないで違う話をしようと思う。
(『ラッパーの妻ってどうでしょう?』という某エッセイ漫画の丸パクリを実行しようとしたが韻に足を引っ掛けて踏み止まっている状態の俺です)

全然大した話じゃないし、声をデカくして言うほどのことじゃないけど、とりあえず愚痴だと思って聞き流して欲しい。先日、俺は戦極MC BATTLEの17章のバトルレポートをKAI-YOUさんからお金をもらって書かせていただたいた。
もちろん、お金をもらっている以上、俺は戦極の味方だし、KAI-YOUの味方である。きちんと仕事として、両者が得をする文章を書いてきた。その度に規模が大きくなって、俺程度の三流ライターの言葉でもそれなりの影響力があるらしく、下手なことが書けなくなってきたのが正直なところだ。
ただねぇ、だからと言って心を殺してキナ臭いテレビショッピングみたいな記事を書くのはどうも性に合わないから、褒めるところは褒めるし腐すところは腐す。ただ、基本的には褒める。俺は炎上記事が嫌いなのだ。賛否両論って言葉も好きじゃない。好みが分かれることをしてると思われがちだけど、俺はラップも文章も至って普通に普通のことを自分の価値観でやってるだけだ。
大した話じゃないのに前置きが長くなった。

疲れてきたから簡単に言うと、あの記事で俺がアマテラスをディスってるみたいな感じで受け止められてるのが、どうも納得いかないのである。(一番憤怒に値するのは俺の意見を盾にして、ここぞとばかりにアマテラスを攻撃してる奴がいること。自分の矛も自分の盾も持ってない奴に人の矛盾を指摘する戦闘力があるんだろうか)
他の俺を含めたバトル慣れしてしまったラッパーが勝ちための試合に興じる中で、アマテラスはベクトルこそ違えど命懸けで馬鹿なことに全力を尽くしたよね?っていう賛辞なのに、全然伝わってない。
全然伝わってないということは表現者に落ち度がある。俺に落ち度がある。
お金をもらってる時だけ、俺は周波数を読み手を合わせて書いている。
周波数を合わせたのに、ノイズが入ってしまったのは俺のミスだ。
ちなみにこの文章は周波数を合わせていない。お前らが俺に周波数を合わせるべき文章だ。だって金もらってねぇし。
周波数を読み手に合わせていただいているというか、読む側が書き手に周波数を合わせたくなってしまう文章を書ける奴が天才なのだよ。俺はそうじゃない。
アマテラスが縄跳びをした時、みんな彼に周波数を合わせようと努力をしたのを俺は空気で感じ取ったよ。そうじゃないと八小節があんなに長く感じるはずがない。

俺はここで親切な文章を書かない。
利き手じゃない方で卓球をするような俺の足掻きだ。

アマテラスと一緒に成田線の我孫子駅から成田駅までの区間を田園風景をバックに映画を撮りたいがためだけに、何往復もしたのが懐かしい。
下総松崎とか木下とか小林とか、あの辺はリリイシュシュ感があってたまんないのだよ。
そして、俺は我孫子駅の唐揚げ蕎麦が好きだ。

蕎麦の器の南半球くらいの大きさの唐揚げが乗った名物を俺はアマテラスに食べて欲しかったのだ。
白金の坊ちゃんに庶民の本気を味わって欲しかったのだ。
どうだ?アマテラス、我孫子駅の唐揚げ蕎麦は半端ねえだろ?って。

奴のリアクションは普通だった。
先輩に勧められたものを「美味いっすね」と言いながら食べるごく普通ほ後輩のリアクションだった。

あの時の恨みを、俺は戦極の記事に投影したのだ。

というのは真っ赤な嘘だが、とにかくあいつが“用意してきた韻”しか踏まなかったよね?という粋な俺のアンサーを、金をもらって書くような神聖な記事に載せられるのは、俺らがそういう仲だからなのさ。
我孫子駅の唐揚げ蕎麦を食った仲の奴じゃなかったら、やっぱ腐すわけにはいかないって思うよ。
それに何度も言うけどあれは賛辞なんだ。

そして、俺は人生の真理に辿り着いた。我孫子駅に必要なものは二つだけでいい。
それは「蕎麦」と「唐揚げ」である。
このブログにはその双方が欠けている。完全に欠けている。

じゃあ、どうしてこうしてブログを書き始めたかと言うと、妻が「書け!」と言うからである。
「じゃあ、お題くれ」と俺はメールを返信した。
妻からのお題はこうだった。
「我孫子駅の唐揚げ蕎麦」
俺がブログ内でどう足掻いたって、何もかもが妻の手のひらの上なのである。

ここで「我孫子駅の唐揚げ蕎麦」を紹介する広告のURLみたいなのを貼ってアフィリエイトだ!
そうすれば俺に金が入るぞ!

と、思ったのだが、そういう知識に疎い俺はそのやり方がわからないまま、無駄にアクセス数を稼ぐのである。 

2017年7月5日水曜日

文章は僕が下手だと思う

文章は僕が下手だと思う。
だけど僕は天才ではない。
頭の中に天才がいるとして、それを縮小せずに外の世界に召喚できるのが技術だとする。はっきり言って僕の頭の中は大したことがない。その大したことない奴を、僕は技術すらもないからその大したことのなさをさらに縮小した形で外界に産み落とす。
その大したことのない奴に、即興で何かをやらせるのがお家芸だ。
なんとなく僕は自分をそうやって評してる。
平井堅の代表曲のタイトルみたいに視界を盲いてダーツのカウントアップをやると、瞳を開いた時よりも点数が高かったりするタイプだ。
と言ってもさすがに感覚だけで生きていくには、論理を重んじすぎている社会だから、誰の目にも見えないところでついつい批評してしまっていたりする。一つ一つ分解して言葉にしていくのは、悪いことではないけど、そういう言葉には筋道みたいなのが決まっている場合が多い。「だけど」の後には否定的な言葉が選ばれるように。
頭の中に天才がいない僕は、とりあえず吐露した凡人に即席芸者としての生き方を指南する。物事を翻訳していく上で、この感情の言語化という作業は、存在しなかった感情を歩かせることによる先行きの予測不可能感を抱かせてくれる。快感はそういう部分で、パンツをちらつかせる。
事実は小説よりも奇なりと言うが、小説よりも奇なりな事実よりも奇怪な何かを掴みたいという欲深さが僕をそんな風に仕向けるのだと思う。
仮に僕が文章という概念だったとする。その場合、自分(文章)が拙い原因は百パーセント書き手にあるというのが自然な考えだ。
しかし、僕が無理やり嗾けているこの責任転嫁にも近い論考の歩かせ方は、その百パーセントを無効化する。厳密には無効化出来ないが、無効化出来たような気分になれるわけだ。
即ち、僕が文章を下手に書いているのでなく、文章は僕が下手なんだと言えるのだ。
だから、文章だって天才じゃないんだ。
文章は月と太陽だ。
月のように地球に合わせてくれる文章もあれば、太陽のように地球の方に合わせろと強要する文章もある。
月の方が圧倒的に商業的で親切だけどその分、太陽のカリスマ性に周りが周波数を合わせてなんとか読解しようとさせる天才感に憧れてしまう。


文章は滝沢カレンが上手だと思う。らしい。 

2017年7月2日日曜日

フリースタイルダンジョン「 Challenger's CUP」後記

小学六年生で、初めて観た。
僕の家では、当時WOWOWを購読していて常に何かしらの映画が放送されていた。
しかし、WOWOWを観られるのはBSチューナーのある父の応接間のテレビだけだったため、気軽に観に行けるわけではなかった。
『学校の怪談』や『リング』シリーズの一挙放送とか年齢相応に観たい映画がないと「応接間で映画観てるわ」と胸を張っては言えない環境だった。

WOWOWは1ヶ月ごとに全番組の載ったパンフレットが送られてくるのだが、僕はその冊子を隈なくチェックするようにしていた。
特に土曜日の番組表は念入りに舐めて味を確かめた。
そして、その理由は土曜日の深夜帯にあった。

小学六年生男子の性的好奇心は、インターネットが一般的じゃなかった時代に満たす手段を選ばせなかった。
WOWOWでは土曜日の深夜1時に必ずR-15指定の映画が放送されるのだ。
そのほとんどはB級のポルノ映画で『くノ一忍法帖』とか『カーマスートラ』とか、あとは実写版の『ふたりエッチ』などが放送されていた。
今から思えば、普通に親にバレていたような気がするが、僕はこれらのR-15指定映画を深夜1時まで自室で眠らずに息を潜め、家族全員が寝静まったのを確認してこっそり応接間に観に行っていたのだ。
テレビの音量を最小にして、すぐにテレビを消せるようにリモコンを死守しながら、命懸けのように映画を観ていたのだ。

毎週のようにそんな阿呆なイベントを自らに課していたら、少しずつポルノ映画のパターンがわかってきて飽きを感じ始める。しかし、ある月のWOWOWのパンフレットにはそんな僕のマンネリを吹き飛ばす、R-15指定の映画が紹介されていた。
それが『パーフェクトブルー』だった。
理由は簡単だった。
それはアニメだったからだ。
女性の裸体を拝めるアニメなんて『ルパン三世』とか『ドラえもん』くらいしか知らなかったから(いや『ドラえもん』は違うか)もう楽しみでしょうがなかった。

というわけで、僕は小学六年生の時、今敏なんか知らないくせに「今」を「敏」感に察知しながら、『パーフェクトブルー』の世界に観入ったのだった。
もちろん、エロ目的で鑑賞したものだから、戸惑いの方が大きかった。
ストーリーはまるでわからない。
ただ、主人公のアイドルに対して「早く脱いで欲しい」と思っていただけ。
実際、ストーリーが進むにつれ、そのアイドルは女優に転身し、レイプシーンやヌードなど仕事を選ばなくなっていく。
小学六年生の僕はただただ「もっと脱いで欲しい」と思っていた。

UMB2006のDVDでDJ MASH氏が確かこんな事を言っていた。
「MCバトルってのはどんだけ皮を剥いたかで決まる」

MCバトルに出続けるということは、何かを犠牲にし続けるもののような気がしている。
レイプシーンやヌードもOKです。と言わんばかりに。
そして、お客さんはそんなことに気付いていない。
小学六年生の僕と一緒。
「早く脱いで欲しい」
それって純粋で残酷だと思う。


さてさて、本題。
フリースタイルダンジョン「 Challenger's CUP」ってのがありましてね。
MONSTER VISIONのリリースパーティーの催しものとして、フリースタイルダンジョンにまだ呼ばれてない人で予選をやるって話をいただいたんですよ。

泥水組と若手組で4人ずつ。だそうです。



そうか、僕は泥水なのか、と。

BOZさんがアルバムを出したり、磯友が配信曲出したりしてたのは知ってたけど、抹が色々してるのは知らなかった。
逆に、僕がアルバムを出すのもそんなに認知されてなかった。
そういう部分が、客観から泥水を連想させるのかもしれない。
ヒップホップっていう大きな世界にコミットしたり、手を繋いだりしてないだけで、幽霊部員のように思われるんだなと。

泳げない人間ばかりを集めたプールで、考え込む。
泳げる側との差異はなんなんだろうって。

今回のバトルそのものがどうだったとか、そういう話を期待している人には申し訳ないけど、戦う相手がそこじゃないってのがはっきりした。

僕は、優れたMC BATTLEのレポートを書くスキルがあるので、それを期待してここまで読んでくれた人にも非常に申し訳ないですが、これは僕の個人のブログなので、僕の個人的な話をさせてもらいます。(増長)

この間のフリースタイルダンジョンの晋平さんと漢さんの試合を、おそらく生まれて初めて晋平さん側に感情移入をして観た。(晋平さんは常に主人公側だから、どうしても僕の性格上ヒール側の気持ちを考えてしまうため)
だから、ROUND3の漢さんの「さっさと手を繋げ」という言葉が重くずっしりと下っ腹に当たった気がした。
ヒップホップに対して、斜に構えてしか接することの出来ない自分が少し恥ずかしくなった。


僕は、6/28にフルアルバムをおやすみホログラムのレーベルからリリースした。平たく言うとヒップホップに強いマーケティングではなく、アイドル側のマーケティングを市場に選んだのだ。
その『パーフェクトブルー』というアルバムは、元々アイドルに提供してた曲のセルフカバー等を収録しているように、歌詞の中の「僕」とか「君」が私生活からかなり離れた場所に位置している曲ばかりが入っている。


チープな言い方をすると「青春ラブソング」みたいな曲ばかりが入っている。
「僕」がギリギリ「君」に届かない歌ばかり歌っている。

総括すると、小学六年生の時に観た『パーフェクトブルー』や、フリースタイルダンジョンの「 Challenger's CUP」や「晋平太 vs MC漢」を一気に思い出したことをきっかけにして、自分がリリースしたアルバムに潜んでる「本音」みたいなのが初めて分かったのだ。

最近、僕は「ヤキソバにレンゲ」という曲をライブで歌う時に「ヒップホップがヤキソバだったら、ハハノシキュウはレンゲ、みたいな曲です」と冗談で紹介しているが、そもそもこれは冗談じゃなくて「本音だ!」って今更、自分で気付いたのだ。

「僕」がギリギリ「君」に届かない歌ばかり歌っている。
僕は「ヒップホップ」が好きなんだなと、じつに普通のラッパーみたいなことを思わされる。
だから、もしも『パーフェクトブルー』を買ってもらえたら「僕」を「ハハノシキュウ」に置き換えて、「君」を「ヒップホップ」に置き換えて、試しに聴いてみて欲しい。
もちろん、向こうから手を繋いでくれることを期待なんかしていない。
こっちから繋ごうとして2mm足りないくらいがちょうどいいのだ。きっと。

2016年10月1日土曜日

太陽の季節


※一部、歌詞を忘れてテキトーに歌ってます

とりあえず、少しだけ本音を書くと、ボクラッパーダケド最近しんどいです。泉まくらballoon的な嫉妬心がいい年齢になってもグワングワン広がって、僕のプールを汚染してくる。
別にメンがヘラヘラしてるってわけじゃないけど、僕の思う以上に僕の指針みたいなやつは曲がってきてんのかもねと目を細めたりする。吉祥寺駅前のバス停で待ち時間が二十分くらいあって、僕は僕のそういうモヤモヤしたやつとその時間を利用して向き合ってみてるわけ。
例えばね、第10回高校生ラップ選手権をようやく観た時のこと。二回戦のMC☆ニガリvsT-Pablowの一本目が一番好きな試合だったんだけど、判定の時の空気で“あれはMC BATTLEじゃない”っていう価値観もあるんだ!ってすげぇ衝撃を受けたんですよ。
言いたいことを言いたい時に言えるようなやつはそもそもラップもバトルもする必要もないし、観る必要もないでしょ?なんていう僕の指針が狂ってんだろうなって。
はっきり言ってこれはあの場面に対するディスでもクレームでもなんでもなくて、単純に“人の持ってる強さ”ってなんなんだろね?って感じたわけですよ。
あと、ラップ選手権とは関係なく、売れたくて頑張ってるラッパーは結構結果を出したりしてて、すげぇなぁって思う反面で自分がライター仕事しか最近してないことに反吐が出そうになる時もたまにあって。
多分、この気持ちはそのうちリリースされる新しいアルバムを経て少しずつ解消はされると思うけど。11月にも一つ発表があるし、とりあえず曲は作ってるしその作風は他の人らとは全然違う。だから、シーンにコミット出来ないけどそれでもまあそれなりの数の人に聞いて欲しいなって思ってる。
シーンとか気にしなくていいでしょ?バトルも別にいいでしょ?って思ってくれてるサイレントなマイノリティー様にお届け出来ればいいなと。

そんな僕も、強さっていう点では本当に強くなったと思う。
大学卒業仕立ての頃は自分の意見なんてまるで持てなかったし、言いたいことを言うのも有り得なかった。
言いたいことを言ってる人が怖くもあったし、怖く感じる人の前ではよく胃腸が傷んだ。
「何言ってんだこいつ?」って誤魔化しでも嘲る生意気さがあれば違ったんだろうけど、僕はかなり間に受けやすいタイプの人間で「そうですよね」と同調するだけのつまらない脳味噌を前髪で隠して暮らしていた。
真面目な事を真面目に話す人を冷やかす人が怖くて、同時に真面目過ぎちゃつまんないなって自分もいて、結局は自分の性格が悪いだけってことにしてそこに全部おさめてしまえいいって矛先をわざと自分に向けたりする。

バス停は結構混んでて、二、三十人くらいの列が歩道を占めている。僕は前から五人目くらいにいて、たまたまこの日に限ってイヤホンを家に忘れてきていた。
後ろの方から罵声みたいなのがずっと聞こえるなぁって無意識レベルで聞き流しながら、自分のラッパーとしての悩み相談みたいなのを自分自身に問いかけていたんだけど、その罵声はみるみる内に大きくなっていくわけ。
なんかおかしいよなって思って後ろを振り向いたら、列に並んでいたはずの人が半分くらいにごっそり減っていて、石原慎太郎みたいなお爺さんがずっと叫んでいたんですよ。
「おまえらほんとにアホンダラばっかりだな!どいつもこいつも。おい!スマホやめろ!おまえみたいな奴が誰と繋がれるってんだ?ほんとにバカだな!」って。
冷静になって周りを見たらスマホを持ってんのが、僕一人になっていて、さすがに空気読んでスマホをポケットに仕舞った。
だからこの文章は途中で途切れた。帰宅してから七割増くらいで加筆した。
これはじつに日本人らしい風景で、全員がそのお爺さんを完全に無視。
ところが、バス停とは関係のない通行人が一人、見るに見かねて注意してしまう。
それは全然注意になってなくて、ただの宣戦布告でしかなかったけど。
「さっきからうるせぇんだよ!クソジジイ!警察呼ぶぞコラ!」って。
通行人A、小太りの中年男性はすごい剣幕で怒鳴っていた。
んで、当人であるお爺さんはと言うと「おう、呼んでみろよ!おまえどこの誰だよ?どこの誰が口を利いてんだよ!!」とさらに大きい声で被せた。
「迷惑なんだよ!クソジジイ」と言い返すも途中で馬力がなくなってきて、結局その人はそそくさとどこかに消えてしまった。
そして、バス停に並んでいる人は全員完全に無視。
僕の真後ろにいた人たちがそれで並ぶのをやめたらしく、気付いたらそのお爺さんが僕の真後ろまで来ていた。
多分だけど、見た目と態度的にこの中だとお爺さんは僕のことが一番気に入らない存在だったと思う。

んで、強さの話に戻るけど。
一昔前の僕だったら、ディスクユニオンにでも向かって時間を潰して次のバスに乗ったと思う。
そして、「あのお爺さんおかしいよな?」って思うのではなく「自分がなんか悪いことしたんじゃないか?」と自信なく勘繰っていたと思うのだ。
だけど、今の僕には経験からくる余裕みたいなのがあって「こういう変なお爺さんいるんだなぁ」ってスルーできる本心が備わっていた。同時に、もし喧嘩を吹っかけられても冷静に周りの人たちの気持ちを代弁して、そのお爺さんを言葉だけでボコボコに出来ただろうなという妙な自信が僕を支えていた。
話しかけられなくても余裕だし、話しかけられても余裕。こんな気持ちはついこのあいだまで本当になかった。
「何言ってんだこいつ?」って嘲ることが可能になっていたわけなんです。
結果としてそのお爺さんはバスに乗る時にまた運転手と喧嘩を始める。
「どこまで乗りますか?」と運転手がお爺さんに聞く。
「〇〇団地だよ」
「それだと向こう車線のバスなので、このバスだと行かないですね」
「行けよ!」とお爺さん。

「行けよ!」ってその言葉が本当に羨ましくなるくらい強気で、僕は手を叩きたくなるくらい関心してしまった。
結局、その〇〇団地の近くの停留所で降りる事にしたらしく、お爺さんは同じバスに乗ってきたし、その後で特に事件も起きなかった。

そんなわけで僕は、強さってやつについて妙に考えされられた。
正しいか間違ってるかはどうでもよくて、その強さが詩を、歌詞を、リリックを、支えるんじゃないかな?って。
だから、楽曲だろうがバトルだろうがコラムだろうがブログだろうが、多少の強さを誇示して誇張していかないと伝わりすりゃしない。
例えば小藪さんがこのブログを読んで直にキレてきても(いや、全然ディスってないけどね)平気で立ってられる指針みたいなのが自然にあればいいんだと思う。
フリースタイルを全く練習しなくてもそれさえしっかりしてればそれはそれで強いラップなんだって、こんなスキル至上主義の状況だからこそ信じておく必要があるって。

変に捻くれないで真っ直ぐにそう思ってるだけでだいぶ違う。
とりあえず、一枚はアルバムのレコーディングが終わってるから、それを発売させて世の中に吐き出すまでは、もう少しだけ辛抱しようと思う。







2016年9月24日土曜日

もやもや

※僕の話は事実を誇張した上で成り立っている。

まだ僕が軽自動車を所有していた頃、車内では常にラップしていた。常にフリースタイルをしていた。
僕は一人きりで運転をしている時、ほぼほぼフリースタイルをしていたが、例外が二つだけあった。
一つ目は、柏市のタワレコかディスクユニオンへ行き、そこで買ったCDを聴く帰り道。
そして、二つ目は誰かと電話をしている時である。
当時はガラケー全盛の時代で、LINEなんてなかったから、長電話をするには金がかかった。
僕が年齢をとったからなのか、無料で通話できるようになったからなのかはわからないが、金がかからなくなると長電話そのものをしなくなった。
逆に当時は割と誰とでも長電話をした。人の顔を見て喋れない僕にとって、声だけの世界がちょうどよかったのかもしれない。
長電話をするきっかけも正直、よくわからない。道具的な用事があって電話したついであれもこれもとフリースタイルのように話題が出てきてしまうためだろうか。
長電話をする場所は決まって軽自動車の中だった。
通話をしながら運転をするのは違反だが、軽薄でモノの価値がよくわかってなかった当時の僕はあんまりそれを気にしていなかった。パトカーが見えたら膝下に電話を隠すくらいのもので、専用のイヤホンは買おうと思ってはいたけど、結局は金がなくて買わなかった。

千葉県の片田舎に住んでいたもんだから、千葉大学に進学した頭のいい地元の友人とはそれをきっかけにして二回くらいは長電話した。そして、二回くらいは遊びに行った。
そいつは、風俗店の味を覚え始めたらしく、下世話な話を下世話に聞こえない口調で話した。
中学の時からそうだったが、彼はあんまりスケベに見えないスケベだった。だから、彼がエロ本や官能小説を学校に持ち込んでも、彼の成年指定に対する態度と、教科書に対する態度があまりにも同列だからいやらしく見えないのである。
だから、風俗の話を始めたところで、奴はガールフレンドの話をするのと本当に変わらない温度になるのはわかっていた。
「やっぱり、おっぱいパブが一番いいっていう結論になった」
奴は大学論文のレジュメを説明するかのようなフラットな言い方で切り出した。
「やっぱりゴールまでいっちゃうと、気持ちが変わっちゃうんだよ。変わらない気持ちを最大限まで高めてそのまま帰るのが、一番幸せだって悟った」
僕は聞き上手な方じゃないけど、運転しながらだと妙に心地よく人の話が聞ける。
「例えばさ、嫌いじゃない人から告白されて付き合ったとする。付き合っていくに連れて嫌いになって別れたら悲しいじゃん。でも、嫌いじゃない人からの告白を断ったとするよ?したら、「あん時、付き合っておけばよかったなぁ」って物思いに耽る瞬間があると思うわけ。そういう時のもやもやってなんか幸せじゃない?」

じつはこの時、奴が言っていた事に僕は本人以上に共感していたと思う。
今もそれは継続中だけど、僕は風俗店にもキャバクラにも行った事がない。一回もない。
「俺は、おっぱいパブに行った事すらないっていうもやもやを持ち続けてる、最高に幸せな気分だ」
「いや、それは行った方がいいよ」
奴は、論理的な同調よりも、感情的な同情を優先しやがった。
「いや、だから行った事がない俺が、お前の行った話を聞いて、想像するわけ。それでよくない?一見よりも百聞を選ぶよ」
ちなみに僕は同じ理由でパスポートを持っていない。一度も外国に行った事がない。
「いやさ、おっぱいパブの帰り道のもやもやとさ、そのもやもやは違うと思うよ?おっぱいパブの帰り道のもやもやを体験してもらわないとさ。それに、俺はおっぱいパブ以外の風俗も体験してるわけ。体験した上でここに戻ってきてる。だから、もやもやの次元が違うはず!」
こんな風に変に頭のいい奴だから、僕は返す言葉がなくなって正直困った。
そもそも僕は議論が苦手なのである。




































「ごめんごめん、今パトカー通ってさ」
「なんかもやもやするなぁ、」






2016年9月20日火曜日

記録してないシリーズ

※基本的に僕の物語はフィクションです。


「だからね、ラッパーだからこそ自分の事をラップするべきじゃないと思うわけ」
僕は妻にそう言った。

僕には昔から結婚願望がなくて、何ていうか一つの諦めを表現する戯れ言として「俺はナンバーガールを好きな女としか結婚しない」と息巻いてきた。
その度に、ナンバーガールを知らない大学の連中にはポカンとされ、ナンバーガールを知ってる冴えない地元の男友達には「そんな女いねぇよ」と言われてきた。

今でこそ、東京で音楽活動をしているからこそナンバーガール好きな女性とたくさん知り合えたけど、僕が田舎で高校までくすぶった挙句に、理系の大学で音楽好きな人間を見つける事が出来なかったその道程にはナンバーガールを聴いてる人間が本当にいなかった。
ましてや、思春期から女子と喋るのが極端に下手になってしまったもんだから、仮にナンバーガール好きな女の子がいたとしても僕なんかが知り合えるはずがない。
せっかく、大学で女の子と少しずつ喋れるようになってきたのに、大学にもバイト先にもナンバーガールを知ってる女の子は一人もいなかった。
だから、僕は「ナンバーガールが好きな女じゃない結婚しない」と心に誓ったのである。
さっきも言ったが、これは「結婚なんか一生してやるもんか!」という諦観を格好よく言い直しただけのものだ。

ただ、人生、マジで何があるかわかんないもので、ひょんな事で今の妻と知り合う事になる。
この辺の馴れ初めに全然面白くないから割愛するけど、妻はいわゆるサブカル女子(死語)というやつだった。
僕の狭い狭い交友関係、カーストの低さから見た世界には、そんな子が一人もいなかった。
だから、サブカル女子ってのはメディアとインターネットがでっち上げた架空の存在だと思っていた。
そんな僕の妄想に反して、妻は出会ったその日に行ったカラオケで、いきなり銀杏BOYZの「べろちゅー」を歌い出した。
その時はぶっちゃけ、何かの夢かよ!と思って体中の痛い場所を数箇所、確認した。
妻がこの日、ナンバーガールを歌ってくれたら、死ぬかもしれない。僕はそう思った。
死ぬかもしれないと思った矢先に妻は「delayed brain」を入れた。
だから僕は死んだ。
まるで、モテキの藤くんだ。

ナンバーガールをカラオケで歌うなら、「透明少女」とか「鉄風、鋭くなって」とかが相場だと思っていた。というか、「透明少女」くらいしか選択肢ないでしょ、なんて思っていた。
もう完全に思考がモテキの藤くんである。

まあ、そんなこんなで僕は結婚に至る。

「だからね、ラッパーだからこそ自分の事をラップするべきじゃないと思うわけ」
僕は妻にそう言った。

「お前のラップなんかどうでもいいわ。お前は『マンガ道』や『アオイホノオ』や『僕の小規模な生活』みたい自伝的なラッパーの小説でも書いてろ」

妻はそう言いながら、シン・ゴジラの第二形態のフィギュアを色んな角度から眺めていた。