2018年11月10日土曜日

無関心、私、昔話

六歳の時に住んでた家には欠陥があった。
トイレのドアが閉まってる時に、台所のドアを開けっ放しにするとトイレから出られなくなるのだ。
写真でもあれば簡単に伝えられるのだが、それは厳しい。去年の夏、ノスタルジーを求めてその家を見に行ってみたら、すでに壊されて駐車場と化していたからだ。
まあ、とにかく台所のドアを開けっ放しにすると、トイレの中にいた人が外へ出られなくなる構造だと思ってもらえればいい。

今でも母親は恨み節を奮う。
母がトイレの中にいる時に僕は台所のドアを開けっ放しにして、当時発売したばかりのスーファミに夢中になっていた。
母曰く、腹の底から声を出して叫んでも完全に無視していたらしい。
僕は僕で覚えてない。
トイレから出られなくなった母の必死な形相は簡単に思い浮かぶ。
思い返せば、この頃から無関心さというか、僕独特の軽薄さが片鱗を見せていたのだと思う。

大学生になって初めて同棲というものを経験する。そもそもどうして同棲することになったのかも覚えていない。
当時の彼女を今になって回想すると、相当ヤバい人だったんだなと俯瞰できる。

「ネットワークビジネスっていうのを始めたいんだけどさ、あっ、ネズミ講じゃないよ。ネズミ講とは全然違うんだよ。グループリーダーやってる人と面談したんだけど、目標とか夢に向かって意識を共有するんだって。そのリーダーの人は月収100万円だって」
対する僕は、ああそうと返したくらいだった。
大学の掲示板には「ネットワークビジネスの勧誘に注意!」というプリントが貼ってあったが、特に何も言わなかった。
今でこそ異常だってわかるけど、ほんとにあの頃は非常識とかそういう物差しとは別に無感情無関心の塊だった。
しばらくして、健康食品のサンプルみたいなのが段ボール三箱分くらい届いた。
全部で10万円以上初期投資したらしい。

僕はここにきてその無関心さの恐ろしさを実感している。
なぜなら、そのサンプルがその後どうなったのか全く覚えていないのだ。気付いたら全部なくなってたし、ネットワークビジネスの話も全く会話のタネとして登場しなかった。

しかし話はまだここで終わらない。
「この間、知り合った人が画家で、こういう絵を描いてるんだけどさ」
携帯電話の画面には、赤と青を中心にグチャグチャに絵の具を使われた抽象画が何点か写し出されていた。
「買ってくれる人を探してるって言ってて、その人の生き方がすごく格好いいから買おうと思うんだ。10万円だって、しかも額縁代はサービスしてくれるって」
この時も、ああそう、と賛成も反対もしなかった。
これもまたしばらくするとデカイ額縁に入った感想の言えない感じの絵画が運ばれてきた。
しかも釘で壁に打ち付けないと飾れないタイプだった。僕は賃貸アパートだってことが頭にあったはあったけど、当事者意識ってやつが完全に欠落していて、釘でそれを機械的に打ち込んでやった。
アパートを出るときに敷金が足りなくて絶望したことだけを思い出す。

ちなみに僕は今でも結構な貧乏性で、一人でメシを食う時に五百円以上のものを躊躇ってしまう節がある。
それにはこの頃のトラウマというか、精神的苦痛が起因している。
大学生だった僕は親からの仕送りとバイト代の合計で生活していた。
当時の彼女は同い年だけど社会人で、バリバリ働いていた。
「親に世話になりすぎちゃいけない、すぐに仕送りを止めてもらいなさい」
どういう論理だったか忘れたけど、なんかすげぇ正義感のこもった口調だったのは覚えてる。
「親にもっと感謝しなきゃダメだよ」って。
僕は本当に冗談じゃなくロボットみたいな精神構造だったから、あっはい、とすぐに仕送りを止めてもらった。
別に期待してたわけじゃないけど、家賃も光熱費も折半になると思っていた。
というか、ずっと全額払ってたことに今更自分で驚く。
仕送りを止めてもらったのに、それでも僕は全額払い続けた。水道代とガス代が一人暮らしの頃の二倍の額だったにもかかわらず。

本当にあの時は金がなかった。
就職活動するにも鞄を買う金すらない状況だった。
彼女がなんで生活費を払わないのか、それもよくわからない。ネットワークビジネスも抽象画も本当になんだったんだ。
なんか、親に仕送りしてるとか、姉が失踪したから、とか色々あった気がする。

僕の育った家庭はガチガチの亭主関白で、お父さんイコール殿様だったから、女に金を払わせるくらいなら切腹する!くらいの思想の種が体内にあったことは認める。
だから、生活費を払い続けたのだと思う。

そう言えば、電車代が払えなくて改札から出られなくなった時に「百円貸して」と駅まで百円を届けてもらったことがあったが、その時に何故か死ぬほど怖い顔でブチ切れられた。
こうして書いている間も結構、血の気が引いている。

やっぱ、思い返せば思い返すほど、僕の心はあの頃に一度死んだんだなぁと実感できる。

その子と別れてから(別れるのもかなり大変だった)二年後に『リップクリームを絶対になくさない方法』というアルバムをリリースするのだが、確実にその時の闇というか怨念がこもっている。

子育てに一番良くないのは夫の無関心だって話をよく聞く。
ここまで文章を書いてきて結構、腑に落ちる。
僕は僕の無関心さを正す必要がある。
好きの反対は無関心だって俗物がよく言うけど、、










ってところまで書いて寝落ちをしてしまいまして、その元カノが普通に僕のブログを読んでる。っていう悪夢を観て汗だくで目が覚めました。


枕元の携帯電話を確認すると、自転車で行ける距離の実家に帰っていた妻からメールが届いてました。
「あと6分で着く」



2018年11月8日木曜日

口だけ出まかせ

実体験よりもアダルトビデオの方が好きな性分なので、しょっちゅう鑑賞してる。
大人になったらアダルトビデオなんて観なくなるだろうと思っていたが、ありゃ嘘だった。

アダルトビデオってのはリアルとフィクションの共同作業なんだと思ってる。だから、連載漫画の矛盾のようなものに気が付いてしまうこともある。
しかし、はっきり言って僕は気にしない。
SODの女子社員が出来る限りヤラセじゃないと思い込むし、当人が気持ちいいと言っているならそれは気持ちいいんだと受け止める。

ただ、人間性を欠いてまで出まかせを言うのは良くない。



これはフェラチオの話だ。

口だけっていう点においてはラップと同じだ。

フェラチオをしながら、喘ぎ声を洩らす人がいるがあれはさすがに過剰演技だと思う。
すげぇ美味いチェコレートパフェを食った時にああいう声を出す女がたまにいるから、一概に虚構だとも言い切れないが。

とりあえずそこまでは許容する。
アダルトビデオをめぐるこだわりの冒険はこのガラパゴスジャパンにおいてはあまりに十人十色過ぎて他人と共有しがたいが、僕個人は許容する。

しかし、昨日観たアダルトビデオはそのボーダーラインを超えていきやがった。

フェラチオしている女が高級スイーツを食べた時のような喘ぎ声を大袈裟に洩らす。
フェラチオさせている男がそれに対してこう言った。

「お口の中、気持ちいい?」

女は言う。
「気持ちいい」

僕はMCバトルのレポートを書く時とか、あらゆる登場人物の気持ちを想像して想像して、そこ感情移入できるように努めている。
だから、よほどサイコパスじゃない限り「きっとこの人はこの時、こういう気持ちだったんだ!」
と推理できる。

しかし、このフェラチオについては、まるでわからない。

口の中が気持ちいいか?って質問する意味がわからない。

そこにサドマゾの概念が介入するとまだ救いがある。しかし、これに関しては両者とも無感情だと僕には見える。ここには攻防が全くない。

とりあえず間が空いたら「気持ちいい?」って聞いとけ!という男優。
とりあえず「気持ちいい?」と聞かれたら「気持ちいい」と答えとけ!という女優。

仮に男優がコンビニ店員で、女優が週刊少年ジャンプを月曜日に買いに来たとしよう。
十中八九、男優が「温めますか?」って聞いたら女優は「お願いします!」と言うと思う。

理性を失わずに失える何かがこいつらには足りない。

だから、僕はライブで「セイホー!!」と言わないのだ。





2018年11月6日火曜日

頭痛、枕、時事ネタ

枕無しで寝た方がいいですよ。と整体師に勧められた。よって誰も夢枕に立つことが出来なくなった。

頭痛が続いている。
①それは決まって14時から18時半くらいのあいだに頭を悩ませる。
②世の中の頭痛には基本的に二つに分けられるらしい。それが片頭痛と緊張型頭痛だ。すごくシンプルに説明すると、血流が良すぎて痛むのが片頭痛、血流が悪すぎて痛むのが緊張型頭痛だ。症状的には後者が僕を悩ませているっぽい。
③緊張型頭痛の治し方は血流を良くすること。暖めたり、マッサージをしたり、姿勢を正しくすることが大事らしい。よって、最も飲んではいけないものがコーヒーだ。カフェインは血流を細くする。
④しかし、マッサージを繰り返しても良くならないし、ロキソニンもあまり効かない。18時半を過ぎると自然に止む。
⑤逆に片頭痛は冷やしたりコーヒーを飲むと痛みが和らぐらしい。
⑥痛み方や症状としては確実に緊張型頭痛なのだが、逆効果を覚悟して試しにコーヒーを飲んでみた。すると、あっという間に痛みが緩和された。
⑦この頭痛がなんなのかさっぱりわからない。

枕無しで寝てみた。
①普段、厚い枕を二つ重ねているくらいのマクラタカニストの僕だ。
②それを枕無しに切り替えてみた。
③非常に寝心地が悪いが、首が真っ直ぐパイプラインのように通っているのがわかる。
④それを二日続けた。
⑤身体がバキバキになって、スキー教室の次の日みたいに全身が痛い。
⑥きっと、血流は良くなったに違いない。
⑦しかし、14時を過ぎたところでまたいつもの頭痛である。

KAI-YOUで時事ネタを書いてみた。
①渋谷ハロウィンについて感じたことを記事にした。仕事で。
②時事ネタというのはダーツのように狙うべきポイントが決まっているし、食べ物のように賞味期限も決まっている。魚の多い場所にルアー投げる。
③だから、素直にそのポイントに沿って意見すれば、まあまあ期待に添えることが出来る。
④時事ネタで褒められても大して嬉しくないし、むしろズルをしたような気分になる。時事ネタについて語って数字が取れてもそんなに嬉しくない。(そんなに数字が取れてないから悔しいけど)
⑤もちろん、その時、語ったことはすぐに忘れ去られてしまう。それは寂しいことだ。
⑥やはり毎日、同じように続いていくことの方が何倍も尊いと僕は思う。
⑦14時を過ぎるとまた頭痛が始まる。そして、決まった時間に鳴り止む。

さて、問題です。
僕の患っている頭痛の正体はなんでしょう?


ああ、考えるだけで頭が痛くなってくる。 

2018年6月11日月曜日

大人食い


いつか回転寿司で最初から最後までサーモンだけを食ってやる。
そう思ったのは中学生の時だった。
家族で回転寿司に行った時に、当時はタッチパネルなんか無かったから手書きの注文書を店員を渡していた。
「なんでも好きなだけ食っていいぞ」
父のその言葉を鵜呑みにした僕は「サーモン、5皿」と書いてこっ酷く叱られたのをよく覚えている。
「お前、大人になって目上の人間と食事に行く時に、そんな注文の仕方をしたら会社クビになるぞ」
僕は二十代半ばまで深刻な“父親信者”だったため、ずっとサーモンの夢を叶えられずにいた。
サーモンがスロットマシンのように連鎖して並ぶ度に、思い出したようにイカやマグロやホタテを注文してしまうのだ。
“父親教”が解けるまで我ながらかなりに時間を要したと思う。
結婚の挨拶の時だって自分の父親と会うと緊張して上手く喋れないと、妻のお母さんに話してしまう始末だった。
「普通は結婚相手の親に緊張するものでしょ」と苦笑いされた。
とりあえず、今は自己暗示のように「ウチのお父さんは別に大したことない」と思い込むようにしている。
とは言っても、家族という小さな帝国の中では間違いなくエンペラーなのだが。
地元で暮らしてる妹や弟が父のことを話す時の三人称が「お父様」とか「殿様」から「アイツ」に変わった時期があった。
近くで暮らしていない僕にはその境界線が見えないのだが「あっ、アイツ呼ばわりでもいいのか」と火で炙った氷のように簡単に呪縛が解けたのがそのよくわかった。
心の奥底では「一生敵わない存在」として君臨してはいるものの、昔に比べたら多少だけど生意気になれたと思う。
だから、今なら回転寿司で最初から最後までサーモンだけを食える気がするのだ。

いつか本当に気が済むまで人前でフリースタイルしてやる。
そう思ったのはラップを始めたばかりの時だった。
オープンマイクやMCバトル、フリースタイルが出来る機会があれば可能な限り首を突っ込んだ時期があった。
コンビニみたいにラップの事だけを考えていた時期があった。
十代の性欲に似たそれは、どんなにラップをしても満たされなかった。
みんなでマイクを回すと自然に自分の時間が減っていく。そもそも、僕は遠慮がちな性格だし、満たされないことを顔にも出さなかった。
それは、父にサーモンを止められたことが密接に関係していると思った。
フリースタイルラップを本当に気が済むまでやってみたい。人前で。

思えば、毎日の生活は満たされないことばかりで満たされている。

だから、7/7の独演会で僕はその欲求を、多少大人になってしまって落ち着きつつある欲求を、完全に満たしてやろうと思っている。
いつかワンマンライブで最初から最後までフリースタイルだけをしてやる。
実は、去年の12月の独演会でそれは果たされている。
だけど本音を言えば、あれは不本意な満たし方だった。なぜなら、あの時の僕はMCバトルに対する怒りとか嘲笑を含んでステージに立っていたからだ。
そもそも、あの日のステージには『ハハノシキュウ』というラッパーがいなかった。
だから、今回の独演会では『ハハノシキュウ』が出ずっぱりで30人組手をしたいと思ったわけだ。

お客さんがそれを観て何を満たせるのかは知らないが。

そして、帰り道に回転寿司で最初から最後までサーモンだけを食ってやる。 

予約はこちら
《概要》
ハハノシキュウによる三回目の独演会。
MC BATTLEイベントで一人で再現シリーズ。今回は一人で30人組手に挑戦。 お客様はご入場に渡される紙に“お題”を書き、指定のボックスに入れてください。(ラッパーの名前は極力やめてください) ボックスから引いたお題と、ハハノシキュウが戦います。一人で。
※8小節2ターン勝負です
《特別ルール》
また、今回は特別ルールとして『FRANKENカード』がお題ボックスに入っており、それを引いた場合はFRANKENさん本人とのドリームマッチが発動します。 さらに、お客様の中にラッパーがいた場合、お題に自身にMC名を書くことが可能です。もちろん、それを引いた場合もハハノシキュウとそのMCとのドリームマッチが発動します。 ※なので、ご自身のMCネームを記入する場合は「お題」との差別化が出来るように「ラッパー」と表記してください。
----------------------- 下北沢Laguna
7.7(土) Laguna 10th anniversary special
ハハノシキュウ独演会
<『立会い出産 第三子』〜一人MC BATTLE 30人組手の会〜@下北沢Laguna 7/7(土)>
バトル&ライブ:ハハノシキュウ
総合司会:NONKEY
(O.A):FRANKEN
バトルビート:DJ CAN
時間:OPEN 18:00 START 18:50
料金:前売り 2500円(D別) 当日 3000円(D別)
発売日5/21(月) ローソンチケット 0570-00-0777 Lコード予約 http://l-tike.com Lコード: 71181 イープラス  http://eee.eplus.co.jp 下北沢Laguna 店頭
-----------------------
18:00 開場(ハハノシキュウ選曲BGM) 18:50 (O.A)FRANKEN 19:05 ルール説明 19:10 30人組手 10戦 19:40 即興ショーケース 19:50 30人組手 10戦 20:20 即興ショーケース 20:30 30人組手 10戦 21:00 残ったお題でオープンマイク 21:10 物販 22:00 撤収

2018年5月12日土曜日

我孫子駅の唐揚げ蕎麦を思う

やっぱ、お金をもらって文章を書くのが好きだ。つまり、お金をもらえないブログの更新は億劫で、なんで億劫なのかっていうのはその一番簡単な回答は「締め切り」が無いから!という実にわかりやすいものである。
俺は人生の真理に辿り着いた。人生に必要なものは二つだけでいい。
それは「締め切り」と「責任感」である。このブログにはその双方が欠けている。完全に欠けている。

じゃあ、どうしてこうしてブログを書き始めたかと言うと、妻が「書け!」と言うからである。
俺は人生の真理に辿り着いた。人生の必要なものは二つ。「締め切り」と「責任感」だが、妻の命令は軽くそれらを超越するのだ。

僕の文章に妻が登場することを妻自身はひどく嫌うので、これ以上は言及しないで違う話をしようと思う。
(『ラッパーの妻ってどうでしょう?』という某エッセイ漫画の丸パクリを実行しようとしたが韻に足を引っ掛けて踏み止まっている状態の俺です)

全然大した話じゃないし、声をデカくして言うほどのことじゃないけど、とりあえず愚痴だと思って聞き流して欲しい。先日、俺は戦極MC BATTLEの17章のバトルレポートをKAI-YOUさんからお金をもらって書かせていただたいた。
もちろん、お金をもらっている以上、俺は戦極の味方だし、KAI-YOUの味方である。きちんと仕事として、両者が得をする文章を書いてきた。その度に規模が大きくなって、俺程度の三流ライターの言葉でもそれなりの影響力があるらしく、下手なことが書けなくなってきたのが正直なところだ。
ただねぇ、だからと言って心を殺してキナ臭いテレビショッピングみたいな記事を書くのはどうも性に合わないから、褒めるところは褒めるし腐すところは腐す。ただ、基本的には褒める。俺は炎上記事が嫌いなのだ。賛否両論って言葉も好きじゃない。好みが分かれることをしてると思われがちだけど、俺はラップも文章も至って普通に普通のことを自分の価値観でやってるだけだ。
大した話じゃないのに前置きが長くなった。

疲れてきたから簡単に言うと、あの記事で俺がアマテラスをディスってるみたいな感じで受け止められてるのが、どうも納得いかないのである。(一番憤怒に値するのは俺の意見を盾にして、ここぞとばかりにアマテラスを攻撃してる奴がいること。自分の矛も自分の盾も持ってない奴に人の矛盾を指摘する戦闘力があるんだろうか)
他の俺を含めたバトル慣れしてしまったラッパーが勝ちための試合に興じる中で、アマテラスはベクトルこそ違えど命懸けで馬鹿なことに全力を尽くしたよね?っていう賛辞なのに、全然伝わってない。
全然伝わってないということは表現者に落ち度がある。俺に落ち度がある。
お金をもらってる時だけ、俺は周波数を読み手を合わせて書いている。
周波数を合わせたのに、ノイズが入ってしまったのは俺のミスだ。
ちなみにこの文章は周波数を合わせていない。お前らが俺に周波数を合わせるべき文章だ。だって金もらってねぇし。
周波数を読み手に合わせていただいているというか、読む側が書き手に周波数を合わせたくなってしまう文章を書ける奴が天才なのだよ。俺はそうじゃない。
アマテラスが縄跳びをした時、みんな彼に周波数を合わせようと努力をしたのを俺は空気で感じ取ったよ。そうじゃないと八小節があんなに長く感じるはずがない。

俺はここで親切な文章を書かない。
利き手じゃない方で卓球をするような俺の足掻きだ。

アマテラスと一緒に成田線の我孫子駅から成田駅までの区間を田園風景をバックに映画を撮りたいがためだけに、何往復もしたのが懐かしい。
下総松崎とか木下とか小林とか、あの辺はリリイシュシュ感があってたまんないのだよ。
そして、俺は我孫子駅の唐揚げ蕎麦が好きだ。

蕎麦の器の南半球くらいの大きさの唐揚げが乗った名物を俺はアマテラスに食べて欲しかったのだ。
白金の坊ちゃんに庶民の本気を味わって欲しかったのだ。
どうだ?アマテラス、我孫子駅の唐揚げ蕎麦は半端ねえだろ?って。

奴のリアクションは普通だった。
先輩に勧められたものを「美味いっすね」と言いながら食べるごく普通ほ後輩のリアクションだった。

あの時の恨みを、俺は戦極の記事に投影したのだ。

というのは真っ赤な嘘だが、とにかくあいつが“用意してきた韻”しか踏まなかったよね?という粋な俺のアンサーを、金をもらって書くような神聖な記事に載せられるのは、俺らがそういう仲だからなのさ。
我孫子駅の唐揚げ蕎麦を食った仲の奴じゃなかったら、やっぱ腐すわけにはいかないって思うよ。
それに何度も言うけどあれは賛辞なんだ。

そして、俺は人生の真理に辿り着いた。我孫子駅に必要なものは二つだけでいい。
それは「蕎麦」と「唐揚げ」である。
このブログにはその双方が欠けている。完全に欠けている。

じゃあ、どうしてこうしてブログを書き始めたかと言うと、妻が「書け!」と言うからである。
「じゃあ、お題くれ」と俺はメールを返信した。
妻からのお題はこうだった。
「我孫子駅の唐揚げ蕎麦」
俺がブログ内でどう足掻いたって、何もかもが妻の手のひらの上なのである。

ここで「我孫子駅の唐揚げ蕎麦」を紹介する広告のURLみたいなのを貼ってアフィリエイトだ!
そうすれば俺に金が入るぞ!

と、思ったのだが、そういう知識に疎い俺はそのやり方がわからないまま、無駄にアクセス数を稼ぐのである。 

2017年7月5日水曜日

文章は僕が下手だと思う

文章は僕が下手だと思う。
だけど僕は天才ではない。
頭の中に天才がいるとして、それを縮小せずに外の世界に召喚できるのが技術だとする。はっきり言って僕の頭の中は大したことがない。その大したことない奴を、僕は技術すらもないからその大したことのなさをさらに縮小した形で外界に産み落とす。
その大したことのない奴に、即興で何かをやらせるのがお家芸だ。
なんとなく僕は自分をそうやって評してる。
平井堅の代表曲のタイトルみたいに視界を盲いてダーツのカウントアップをやると、瞳を開いた時よりも点数が高かったりするタイプだ。
と言ってもさすがに感覚だけで生きていくには、論理を重んじすぎている社会だから、誰の目にも見えないところでついつい批評してしまっていたりする。一つ一つ分解して言葉にしていくのは、悪いことではないけど、そういう言葉には筋道みたいなのが決まっている場合が多い。「だけど」の後には否定的な言葉が選ばれるように。
頭の中に天才がいない僕は、とりあえず吐露した凡人に即席芸者としての生き方を指南する。物事を翻訳していく上で、この感情の言語化という作業は、存在しなかった感情を歩かせることによる先行きの予測不可能感を抱かせてくれる。快感はそういう部分で、パンツをちらつかせる。
事実は小説よりも奇なりと言うが、小説よりも奇なりな事実よりも奇怪な何かを掴みたいという欲深さが僕をそんな風に仕向けるのだと思う。
仮に僕が文章という概念だったとする。その場合、自分(文章)が拙い原因は百パーセント書き手にあるというのが自然な考えだ。
しかし、僕が無理やり嗾けているこの責任転嫁にも近い論考の歩かせ方は、その百パーセントを無効化する。厳密には無効化出来ないが、無効化出来たような気分になれるわけだ。
即ち、僕が文章を下手に書いているのでなく、文章は僕が下手なんだと言えるのだ。
だから、文章だって天才じゃないんだ。
文章は月と太陽だ。
月のように地球に合わせてくれる文章もあれば、太陽のように地球の方に合わせろと強要する文章もある。
月の方が圧倒的に商業的で親切だけどその分、太陽のカリスマ性に周りが周波数を合わせてなんとか読解しようとさせる天才感に憧れてしまう。


文章は滝沢カレンが上手だと思う。らしい。 

2017年7月2日日曜日

フリースタイルダンジョン「 Challenger's CUP」後記

小学六年生で、初めて観た。
僕の家では、当時WOWOWを購読していて常に何かしらの映画が放送されていた。
しかし、WOWOWを観られるのはBSチューナーのある父の応接間のテレビだけだったため、気軽に観に行けるわけではなかった。
『学校の怪談』や『リング』シリーズの一挙放送とか年齢相応に観たい映画がないと「応接間で映画観てるわ」と胸を張っては言えない環境だった。

WOWOWは1ヶ月ごとに全番組の載ったパンフレットが送られてくるのだが、僕はその冊子を隈なくチェックするようにしていた。
特に土曜日の番組表は念入りに舐めて味を確かめた。
そして、その理由は土曜日の深夜帯にあった。

小学六年生男子の性的好奇心は、インターネットが一般的じゃなかった時代に満たす手段を選ばせなかった。
WOWOWでは土曜日の深夜1時に必ずR-15指定の映画が放送されるのだ。
そのほとんどはB級のポルノ映画で『くノ一忍法帖』とか『カーマスートラ』とか、あとは実写版の『ふたりエッチ』などが放送されていた。
今から思えば、普通に親にバレていたような気がするが、僕はこれらのR-15指定映画を深夜1時まで自室で眠らずに息を潜め、家族全員が寝静まったのを確認してこっそり応接間に観に行っていたのだ。
テレビの音量を最小にして、すぐにテレビを消せるようにリモコンを死守しながら、命懸けのように映画を観ていたのだ。

毎週のようにそんな阿呆なイベントを自らに課していたら、少しずつポルノ映画のパターンがわかってきて飽きを感じ始める。しかし、ある月のWOWOWのパンフレットにはそんな僕のマンネリを吹き飛ばす、R-15指定の映画が紹介されていた。
それが『パーフェクトブルー』だった。
理由は簡単だった。
それはアニメだったからだ。
女性の裸体を拝めるアニメなんて『ルパン三世』とか『ドラえもん』くらいしか知らなかったから(いや『ドラえもん』は違うか)もう楽しみでしょうがなかった。

というわけで、僕は小学六年生の時、今敏なんか知らないくせに「今」を「敏」感に察知しながら、『パーフェクトブルー』の世界に観入ったのだった。
もちろん、エロ目的で鑑賞したものだから、戸惑いの方が大きかった。
ストーリーはまるでわからない。
ただ、主人公のアイドルに対して「早く脱いで欲しい」と思っていただけ。
実際、ストーリーが進むにつれ、そのアイドルは女優に転身し、レイプシーンやヌードなど仕事を選ばなくなっていく。
小学六年生の僕はただただ「もっと脱いで欲しい」と思っていた。

UMB2006のDVDでDJ MASH氏が確かこんな事を言っていた。
「MCバトルってのはどんだけ皮を剥いたかで決まる」

MCバトルに出続けるということは、何かを犠牲にし続けるもののような気がしている。
レイプシーンやヌードもOKです。と言わんばかりに。
そして、お客さんはそんなことに気付いていない。
小学六年生の僕と一緒。
「早く脱いで欲しい」
それって純粋で残酷だと思う。


さてさて、本題。
フリースタイルダンジョン「 Challenger's CUP」ってのがありましてね。
MONSTER VISIONのリリースパーティーの催しものとして、フリースタイルダンジョンにまだ呼ばれてない人で予選をやるって話をいただいたんですよ。

泥水組と若手組で4人ずつ。だそうです。



そうか、僕は泥水なのか、と。

BOZさんがアルバムを出したり、磯友が配信曲出したりしてたのは知ってたけど、抹が色々してるのは知らなかった。
逆に、僕がアルバムを出すのもそんなに認知されてなかった。
そういう部分が、客観から泥水を連想させるのかもしれない。
ヒップホップっていう大きな世界にコミットしたり、手を繋いだりしてないだけで、幽霊部員のように思われるんだなと。

泳げない人間ばかりを集めたプールで、考え込む。
泳げる側との差異はなんなんだろうって。

今回のバトルそのものがどうだったとか、そういう話を期待している人には申し訳ないけど、戦う相手がそこじゃないってのがはっきりした。

僕は、優れたMC BATTLEのレポートを書くスキルがあるので、それを期待してここまで読んでくれた人にも非常に申し訳ないですが、これは僕の個人のブログなので、僕の個人的な話をさせてもらいます。(増長)

この間のフリースタイルダンジョンの晋平さんと漢さんの試合を、おそらく生まれて初めて晋平さん側に感情移入をして観た。(晋平さんは常に主人公側だから、どうしても僕の性格上ヒール側の気持ちを考えてしまうため)
だから、ROUND3の漢さんの「さっさと手を繋げ」という言葉が重くずっしりと下っ腹に当たった気がした。
ヒップホップに対して、斜に構えてしか接することの出来ない自分が少し恥ずかしくなった。


僕は、6/28にフルアルバムをおやすみホログラムのレーベルからリリースした。平たく言うとヒップホップに強いマーケティングではなく、アイドル側のマーケティングを市場に選んだのだ。
その『パーフェクトブルー』というアルバムは、元々アイドルに提供してた曲のセルフカバー等を収録しているように、歌詞の中の「僕」とか「君」が私生活からかなり離れた場所に位置している曲ばかりが入っている。


チープな言い方をすると「青春ラブソング」みたいな曲ばかりが入っている。
「僕」がギリギリ「君」に届かない歌ばかり歌っている。

総括すると、小学六年生の時に観た『パーフェクトブルー』や、フリースタイルダンジョンの「 Challenger's CUP」や「晋平太 vs MC漢」を一気に思い出したことをきっかけにして、自分がリリースしたアルバムに潜んでる「本音」みたいなのが初めて分かったのだ。

最近、僕は「ヤキソバにレンゲ」という曲をライブで歌う時に「ヒップホップがヤキソバだったら、ハハノシキュウはレンゲ、みたいな曲です」と冗談で紹介しているが、そもそもこれは冗談じゃなくて「本音だ!」って今更、自分で気付いたのだ。

「僕」がギリギリ「君」に届かない歌ばかり歌っている。
僕は「ヒップホップ」が好きなんだなと、じつに普通のラッパーみたいなことを思わされる。
だから、もしも『パーフェクトブルー』を買ってもらえたら「僕」を「ハハノシキュウ」に置き換えて、「君」を「ヒップホップ」に置き換えて、試しに聴いてみて欲しい。
もちろん、向こうから手を繋いでくれることを期待なんかしていない。
こっちから繋ごうとして2mm足りないくらいがちょうどいいのだ。きっと。