2015年3月22日日曜日

三階から胃薬

ある日、トイレで用を足した後にトイレットペーパーを見たらトマトジュースみたいな量の血がべっとりと付着していた。
これは不味いと思い、立ち上がって恐る恐る便器の方に振り返ると、トマトジュースみたいな量の血がB級映画のように散乱していた。

とりあえず、ネットで、血便について、調べてみたら、大腸ガンの、可能性が、色濃く、炙り出されて、これはもしや、人生、始まっちまったな、と非常に、不安な気持ちになった。
この句読点の数が僕の不安を示す指数だと思ってもらえたら幸いだ。

大腸ガンじゃなかったとしても、ポリープがあったら手術をしなきゃいけないし、そのためには高い金を払って検査を受けないといけない。
ネットで調べると、便の色が何色かによってポリープの可能性が変わってくると書いてある。
トマトジュースみたいな量の血液に邪魔をされて、僕は便の色を確認していなかった。
トマトジュースみたいな気持ちを洗い流すために、僕はすでにレバーを引いてそれらにさよならを告げていた。
だから僕は、君が何色だったか確かめる術を失ってしまった。

肛門科のある病院は、僕の家からだと近くに二件ある。
歩いて行ける距離には「肛門科のある」病院があり、電車で一つ隣の駅に行けば「肛門科専門」の病院がある。
僕は後者の専門分野に長けた病院に行くと決めていたのだが、午前中の診療に間に合わない時間に起きてしまい、しかもこれを逃すと来週の土曜日まで不安を残すので、本当に仕方なく歩いて行ける方の病院に行った。

初診だったから待たされるだろうとは思っていたが、大長編ドラえもんを一つ見終わってしまうくらいの時間を待たされたので、じつは自分の名前はとっくに呼ばれていて、反応がないから次に飛ばされたのではないか?と勘ぐる事になってしまった。
なんとか武田鉄矢のエンディング曲が流れる前に名前が呼ばれて、僕は気怠い足取りで診察室に入った。

先生の第一印象は「うわぁ、この人、金が好きそうな顔してるー」だった。
建前も本音も金で買えるような態度で、僕の肛門に指を突っ込んできやがる。
「出血はしてないねぇ。だけど、すぐに検査しなきゃダメだね、検査の予約をしてください」
大した説明もなく検査を予約するための部屋に案内された。
ああ、やっぱ死ぬのかなー。なんて思いながら、担当者の話を聞く。

大腸内視鏡検査というこの肛門関係だと非常にメジャーな検査である。
下剤を飲んで身体を空にしてから腸にカメラを突っ込み、中の様子を見ながら腸を往復するというものだ。
この病院、その検査が平日しかできないらしく、しかもその前日には食事制限があり、指定の食べ物と指定の下剤を支給され、その検査自体も何時に終わるのかは人によって違うらしく、ポリープが発見されたらその日の内に手術をするから、時間には余裕を持って来てくださいと言われる。
僕はそんなに手間と時間がかかるのかよ!とがっかりしたし、平日に仕事を休めるほど暇じゃないから現実的に厳しいなと思っていた。
ただ、身体の事なので妥協するにもできなくて、泣く泣く予約をした。
そして、下剤やら専用の食事やらたくさんの荷物を持たされ、検査費用とは別に結構な金額を取られた。

病院を出た僕はどうも、トマトジュースみたいに煮え切らない気分になって、ネットで内視鏡検査を調べまくった。
だけど、僕は頭がイカれているせいでその内容がよくわからなかったから、当初として行く予定だった一つ隣駅の病院に電話をした。
「内視鏡検査についてお聞きしたいんですけど」
「日曜日以外でしたら予約なしでいつでも受ける事ができますよ」
「前日に食事制限があったり、前日から下剤を飲んだりする必要はありますか?」
「基本的には乳製品を摂らなければ大丈夫ですよ、下剤も当日支給するもので十分です。朝食だけは抜いて来てくださいね」
「ちなみに金額って」
なんと、三千円程度だった。
僕がさっき買わされた食べ物と下剤よりも安い。
僕は昼休みに入る直前のさっき行った病院に滑り込みで戻って、予約をキャンセルして、返金をお願いした。
早起きすればよかった。僕はキメ顔でそう思った。

そして、翌週の僕はラジオ体操ばりに早起きをして、隣駅の病院に行った。
土曜日なので、朝一番だというのに待合室は座れないくらい混んでいた。
それでも大長編じゃなくて、通常のドラえもん一話分くらいしか待たされなかった。
また、ケツの穴に指を突っ込まれて辱めに受けたが、どうやら軽い切れ痔らしく「検査受けますか?」と逆に聞かれるくらい微妙な反応だった。
僕はこの日まで仮に自分が大腸ガンやポリープだった時の事を何度も想像し、生命保険の金額とかを気にしながら、決めなきゃいけない覚悟をモンスターボールにしまいこんでいたのだ。
そんだけの不安をケツの穴に軽く指を突っ込まれたくらいで拭えだなんて、ちょっと味気ないしはっきり言って不安なままだ。
「念のため、検査を受けたいのですが、」
「じゃあ、あっちの階段の先で下剤をもらってください」

人生には初体験がつきものである。
内視鏡検査は多分前世でも経験していない。
ちなみにこの記事は明確なオチのある話として書いているわけじゃなく、ごくシンプルな体験談である。
ここから先は僕の想像と少し違った異世界だったので、こういう世界もあるのか程度に読んでいただけたらいいかなと思う。
 君の人生に大きな影響を与える文章を書かないといけない。 君の人生を百八十度変えてしまうようなそんな文章を書かないといけない。というわけでもない。

階段を上って別の病棟へと案内された。
そこも混んでいたがなんとか座る場所はありそうだった。
そこにいる人たちは全員、紙コップとペットボトルの水と何やら巨大なポリ容器を持っている。
立ち上がってフラフープをやる時みたいに腰を振っている人が数人いて、一目でここは怖い場所だと思った。
受付で僕も同じセットを貰った。
巨大なポリ容器には一リットルの下剤が入っていて、水を飲みながら要領よく一時間くらいかけて、それを全て飲み干さないといけないと言われる。
その三点セットを手にした瞬間、僕はこの部屋にいる人たちと仲間になったような気がした。
とりあえず、さっさと飲んで、さっさとトイレと行こうと思い、紙コップ一杯分に下剤を注ぎ、口へと運んだ。
不味い。
なんだこれは。
ガムシロップを一リットル飲め!と言われているような拷問である。
これを全部飲むのは絶対に無理だ。
二階から目薬だ。
でも、飲まなきゃいけないのか。
もしかして、この苦行を省くために前日から食事制限したりする病院があったりするのだろうか。
それから、トイレの場所を確認した。
トイレは男女共同で、個室が六つに分かれていてそれぞれの便器の扉に信号が付いている。
どうやら鍵をかけると赤くなり、鍵を外すと青くなる仕組みらしかった。
そして、壁には便の濃度表が貼ってあり、一番薄い色まで変化したら内視鏡検査を受ける権利を得れるらしかった。
「便が出ましたら私たちがチェックするので、流さずに声をかけてくださいね」と看護師のおばちゃんに言われる。
トイレ内は「チェックお願いしまーす!」という声が常に飛び交っていて、なかなかの混沌具合である。

気を取り直して、僕はポリ容器と睨めっこしながら、全然減らない下剤をちびちびと飲み続けた。
阿部共実よりも後味が悪い下剤を水を飲みながらなんとか誤魔化して飲んでいると、早速便意がやってきて、僕は青信号のトイレに駆け込んだ。
僕は一応ラッパーなのだが、人様にチェックしてもらう事においてはかなりスキルが低いので、チェケラッチョにおける不安と緊張で下剤と関係なくお腹が痛かった。
排便したい気持ちは表現ですよね。

一回目の便を看護師さんにチェックしてもらうと、「あと、三、四回は出さないとダメ」と言われる。
まるで、レコーディングしてる時みたいになかなかオーケーの出ない厳しさを感じた。
ただまあ、そんなのも杞憂に過ぎず、三回も四回も出るのかよと思っていたが、途中で便意が止まなくなって、結果的に七、八回はトイレに足を向けたと思う。
下剤はなんとか飲み切ったし、理想的な無色透明なテイクを出せたので、看護師さんにチェックをお願いすると(チェケラッチョの恥ずかしさは途中で克服できた)、オーケーサインをいただき、内視鏡検査の順番を待つ段階に進んだ。
表現したいって気持ちは排便ですよね。

身体の内部が空っぽになった事を実感しつつ、後から入ってくる新参者を鼻で笑う。
新参者は渡された下剤の量と、その味で明らかにテンションが下がっている。
僕はそれを乗り越えた先輩なので、後輩の頑張りを横目で見ながら、「絶対無理だと思っても飲めるもんだよ」と脳内で勝手に励ましてあげたりした。
僕はこの時、内視鏡検査を終えた人が僕の事を同じように鼻で笑っていた事に気付く余地がなかった。
つまり、下剤を全て飲んで、出す物を出した時点で僕は満足しちまっていたのだ。

内視鏡検査用のベッドに横に寝かされ、下半身を裸にされてタオルを巻かれた僕は、カメラを見て目を丸くする。
そんな長いの入りませんって!絶対に無理です。
三階から胃薬です。
そんな僕の諦観すら気にも止めずにケツの穴にそれを突っ込まれる。
カメラの先からは空気が物凄い勢いで出てきて、僕の腸は大道芸人がプードル犬を作る風船のように膨らんで、激痛が井手らっきょみたいに走り抜けていく。
マジで死ぬ。
四階から飛び降りだ。
目の前のモニターには僕の体内がナノセイバーの如く映し出され、サーモンピンクの僕の内側がお医者様に見られて恥ずかしくて何度も死にそうになった。
「凄い綺麗な腸ですね、ポリープもないし、全く問題ないですね」
どうやらカメラが腸の最終地点まで辿り着いたらしく、僕は安堵感に胸をなでおろす。
「それじゃ、カメラを戻しますねー」
往復しないといけないという事を完全に忘れていた。
また、さっきまでの激痛を再び味わうなんて絶対に無理。
五階から浣腸だ。
神を失いそうになりながら、なんとか内視鏡検査の行程を終えた僕は、一階から五階まで非常階段を上り下りして戻ってきたように疲れ切っていた。

とにかく、変な病気じゃなくてよかった。
そして、最初に行った病院の先生が僕に、病気かどうか発破をかけてきやがった事を少しばかり恨んでいる。
最初から「ただの切れ痔ですね」と言ってくれりゃこんな大冒険する必要なかったんだぜ!って。